≫ EDIT

雷が恐いナナ

20080809174912
今週の水曜日、一晩TVが映らなくなるほどのひどい雷雨に見舞われた時、家の中に一人残されて恐かったらしく、一番下の弟の机の裏の隙間に隠れてしまっていたナナ。

それ以来、連日夕立が来るたびに落ち着きを無くし、雷が一体何物なのかを見極めようと、音が成る窓の外を警戒したように泣き喚き、最後にはベッドの下の暗くて狭いところに隠れてしまうようになりました。

今まで雷は平気な子だったのに、水曜日の雷はそうとう恐かったみたいです。

動物病院と動く自動車の次に嫌いなもの。雷も嫌いなものになってしまいました。

この所、午後から天気が崩れることが多く、雷も毎日のことなので、ナナは落ち着かなくて可哀相だなぁ。

声を掛けてあげると少し安心したようにベッドの下から顔を出します。でも耳は窓の外の大きな音に警戒しっぱなしです。

| | 17:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

抜け毛が半端じゃない

ショコラのあっかんべーショコラのあっかんべー。ではなく、お食事が終わって口元を舐めていたときに撮った写真。最近は食事の後は、口元と顔を舐めるだけで全身の毛づくろいは全くしなくなってしまったショコラ。歳なのかなぁ。

仕方なく、ねこのきもちの付録で貰ったブラシを使ってブラッシング。
ごっそり取れました。もう、大丈夫なのかと思うぐらい。

元々ショコラは毛の色は白とグレーの縞模様だったのに、最近は縞模様もなくなり、グレーだったのがだんだん茶色くなってきているのが気になります。
毎朝早く遊びに言って、夜中まで帰らないことがしょっちゅうなので、これは汚れなのか、それとも毛の色が変っただけなのか、ただ単に巧く抜け替われて居ない古い毛なのか。

シャンプーしてあげたいなぁと思いながらも、ショコラのお帰りが遅いので、それも中々できず。
おとなしーくいつまでーも、ごろごろ喉を鳴らしながら私にブラッシングをされている様子をみると、彼女はこれで十分のようです。
どんどん毛が抜けるので、私も毛だらけになりながら、ショコラに文句を言いながらも、これほど毛が抜けるとブラシのしがいもあるなぁと、ちょっとお遊び半分やってます

| | 15:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

猫も暑そうです

箱入りナナナナは我が家で一番暑い私の部屋には昼間は出入りしません。夜になっても熱気がこもっているような部屋なので、この部屋でナナが寝ることはお勧めしたくないのだけど、何故か一人で寝るのは寂しいようで、いれてよぅと扉をカリカリひっかきます。
狭い部屋の中、涼しいところは限られている。入り口にアルミプレートを置いてあげたら夜はそこで寝るようになった・・・はずだった。

ダンボールは快適らしいです。暑すぎず寒すぎず。ナナはダンボールが大好きだけれど、大きい物よりも小さくて狭いダンボールのほうが好みのようです。ナナ化粧品を買ったまま、置き去りにされていたダンボールにひょっこり入って、気持ち良さそう。
多分、今までナナが入ったダンボールで尤も小さかったサイズがこのダンボールじゃないだろうか。22×15×15cmの小さなダンボール。
絶対無理だって。箱の形がちょっと変っちゃってるのに、チャレンジャーな猫だなぁ。

絶対、アルミプレートのほうが広くて冷たくて寝やすいはずだと思うんだけどなぁ
何度も出入りを繰り返しながら向きを変え、寝方を変えながらも、この箱から出ようとしなかったナナ。
偶に箱に入っていると、お兄に悪戯されて梱包されます
送り先は静岡にいるいっこ下の弟へ・・・

ぎゅーぎゅーに入り込んでいる姿は、見てるだけで暑苦しいよ
猫は元々暑い国の生き物だからといっても、暑苦しいのは勘弁して欲しいよね。猫だって、涼しいところを求めて日夜努力しているんです

別のダンボールの上にも、小さなアルミプレートを乗せておいたら、そこもお気に入りの場所になって寝てくれているけれど、アルミプレートがだんだんあたたかーくなって来るんだよね。
猫の暑さ対策も、いろいろ考えてあげないと可哀想だなぁ。私の部屋、特に暑いんだしね。

| | 15:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

第551回「おすすめの部屋での過ごし方☆」

日本の夏暑くても。日本の夏は好きです。田舎なので、暑いといっても風通しが良くて過ごしやすいほうだと思います。
私の部屋夏の必須アイテム。
恐らく私の部屋が家の中で一番暑いです。6畳もない部屋に西向き窓ひとつ。風が吹かなきゃ暑いだけ。


南部風鈴
随分前にお土産で貰ったふくろうの南部風鈴。
ガラスで出来た江戸風鈴も見た目が涼しげで好きなのですが、私はやっぱり南部風鈴のちりんちりんと響く高い音が好きです。
岩手県のお土産なだけあって、垂れ下がっているのは宮沢賢治のアメニモマケズの一節。



これがないと、私の部屋はもっと暑い
直射日光を遮ってくれるし、目隠しにもなります。
エアコンのない私の部屋では重宝してます。風も通るし、これがあると部屋は意外と涼しくなります。優れもの。


蚊取り線香
水溶の蚊取りとか、携帯できる回転式のやつとか最近多く見かけるけれど、それではぷすぷす差され捲くってしまう、蚊に好かれやすい私。一晩で17箇所指されて、両足がぽんぽんに腫れてしまった経験もあります。夏は蚊取り線香じゃなきゃ駄目です。ぶたちゃん蚊取り線香の匂いを嗅ぐと、夏だなぁと感じさせられます。今年からぶたちゃん蚊取りがお部屋の仲間入りしました。
ちなみに、蚊取り線香といえば金鳥さん。好きです。
これでも刺されることもあるので、液体ムヒは夏の必需品です。


茣蓙
やっぱりイグサの香りがする茣蓙が好きです。虫も寄ってこないって言うしね。私の部屋の床は残念ながら畳ではないので、フローリングに茣蓙を敷いています。二畳ぐらいの大きさで十分活用できるので愛用しています。
最近はホームセンターで安く買えるから嬉しいね。

後は猫が爪とぎしないよう、気をつけて使わなきゃ。


こんな日本の夏を満喫している私は、毎週月曜日の和風総本家を家族揃って楽しみに観ている、和好き人間です。

| トラックバックテーマ | 15:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

久々にばあちゃんの夢を

一周忌も終わり、一日はお盆だからとお墓参りに行き。
ばあちゃんが家に帰ってきていたのか、久しぶりにばあちゃんの夢を見ました。

夢の中のばあちゃんは幽霊じゃなくてまだちゃんと生きていて、ばあちゃんが逝ってしまう一日前に戻って、最後までお世話をする、という夢でした。

あぁ、私はきっと、ばあちゃんのことで後悔しているんだ、と夢から醒めて思いました。
もっと大事にすればよかったとか、もっと話をすればよかったとか。そんなことは誰もが思うことであって、後悔し出したらあれもこれもときりがないのは当然のことなのだと分かっていても、やっぱり思ってしまうものなんだよね。

あの日ばあちゃんと過ごした、最後の一日。もしあの日に戻れるのなら、私はもっとマシな言葉をかけてあげて、あの日咲いた朝顔をもうちょっと咲かせておきたい、なんてもったいぶらずに、歩けなくなったばあちゃんの膝の上に乗せて見せてやることが出来ただろうに、と思ってしまうのです。

朝顔が咲く度にきっと私はそれを思い出して、ひまわりが咲く度に、ばあちゃんが逝った日のことを思い出して、ごめんね、とありがとう。をいっぱい胸に抱きながら、毎年夏を迎えていくんです。

10年後、20年後、もっともっと先まで。私がばあちゃんの歳に追いつくことが出来たら、どんな思いで夏を迎えることが出来るのか。去年よりも今年よりも、もっと穏やかで安らかな気持ちで迎えられると、いいな。

| フジコ家の人々 | 15:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

お盆です

お盆ですうちの地域は8月1日がお盆です。どうぞご先祖様、じいちゃんばあちゃん、お家にお戻りくださいな。
それで多分、15日頃に彼岸の向こうに帰っていくんだと思う。たぶん、この辺はそういう風習。

お盆なので、お墓も随分にぎわっていました。
親戚や分家の方々がお供えを持ってきてくれたり、お盆の提灯を引っ張り出してきて飾ってみたり。

昔は、家の前の細い道にずらーっと蝋燭を並べて、1日と15日にご先祖様の送り迎えをしていました。
その大事なお役目は、ばあちゃんと私を含む孫達4人の仕事でした。懐かしいな。


なすそういえば、いつの間にか我が家のナスを使った、この不恰好なナスも置かれてました。製作者はパパさんかママンだと思う。
ご先祖様たちは行きは馬に乗ってやってきて、帰りは牛に乗って帰るそうな。
でもこれはどっちが馬で牛かよくわからなんな

でもちょっとこれがあるとお盆っぽい


あれ?でも馬の方ってきゅうりで作るんじゃなかったっけ?

| 日記 | 19:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

明治出版の聖書

聖書曽祖父が熱心な信者だったようで、この地域に最初に聖書を持ち込んだのは、うちの曽祖父らしいです。明治時代出版の聖書が或るのにはビックリしました。古文の教科書より読めない文字ばっかだよ・・・
その関係で、エホバ信者の方々がうちに尋ねてきてはお話をしていってくださいます。

もっとも、彼らのお仕事は布教活動なので、私がエホバ信者になることは別問題だと思っているので、いつも古い明治時代の聖書と、貰った聖書入門書のような本を片手にいつもお話を聞いています。

曽祖父が信者だからといって、我が家がそうだというわけではなく、小さい頃からうちは神道です。
ばあちゃんの葬式とか、一年祭とかに「かしこみかしこみ」やって貰いました。
高校は仏教系の高校に。浄土真宗でした。月に一回、お偉いさんのお話を講堂で聞く恒例行事があったなぁ。
仏典には、結構哲学的な教えがかかれてあって興味を惹かれました。

だから私は、無宗教ではなく、多宗教な感じです。
それゆえか、地元の同級生がエホバ信者の家系だということもあり、余り抵抗はありません。

けれども私は正面から神の教えとか、聖書は神が作られた本だといわれても、うぅんと首を傾げてしまいます。神の言葉をダニエルという人が書いたもの、それが聖書。この本には人の創造や予言が書かれている、と言われても理解しよう、という気にはなれません。
信仰心から読むのではなく、面白半分、普通の読書感覚で読む、という感じでしょうか。

ただ、京極夏彦の小説のように、今神と呼ばれるものは嘗ては人間だった。死んでその栄光を祭り称えたのが神と呼ばれるようになった(つまり学問の神、菅原道真のように)、という解釈があって、古事記や日本書紀に書かれている神話とされるものが、大昔の生きていた人間の歴史書であるとするならば、この聖書も昔の人の歴史書である、と考えて読めば、食えないこともない本だと思っています。

ノアの箱舟だって、神の啓示云々は置いておいたとしても、洪水が来ることを知ったノアが箱舟を作り、家族とさまざまな動物の雄雌を乗せて、洪水に飲まれることなく難を逃れた、という聖書の内容にしても、真っ向から嘘だとは考えず、そういう人が居たんだなぁと。

そこで信仰心のない私が疑問に思うこと。
ノアが洪水を逃れたという事実と、神の啓示を受けたのはどちらが先だったのだろうか。
聖書には神の言葉を受けたノアが箱舟を作ったとあるけれど、これが人の歴史であるなら、ノアの箱舟は神のなせる業だと、後の人が信仰に基づく解釈をしたことになるなぁと、思ってしまうのです。

だから神の言葉を書き写したダニエル自身がもしかしたら預言者だったのかなぁと。
それを神の言葉として聖書としたのかなぁと、思うわけです。


もちろん、私の考えはエホバへの信仰心がないから、聖書は人の歴史書だと思うのであって、信者にとってはやはり神からの言葉がつづられた聖書である、とこれは捉え方の違いなので仕方がない。

姿は見えないけれど、私達をお造りになった神様がいらっしゃる。という考えよりも、
去年死んだばあちゃんが、ご先祖様となって我が家の守り神と成り、家族を見守ってくれている、という神道の考え方のほうが、身近であったかくて安心するのは事実です。

だから、いつも見守っていてください。と毎朝御霊様にお参りするんです。
神様は違うし、そのお祈りの方法も違うけれど、信仰で行き着く先は同じような気がするのは、私だけでしょうか。


同じ一神教でも、仏教はちょっと回りくどく自身で考えることを道としてそれを諭し、聖書は神という存在を位置づけて人の歩むべき道を明確にしてしている、という印象を受けました。


私なりに、この聖書をどう理解しようかなんだかいろいろ模索中です。

| 日記 | 16:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT